むしろ笑うからしあわせなのだ
85歳で運転免許の自主返納を宣言していた父が無事運転を卒業。何事もなくよかった…と心から思う私です。「運転できなくなっちゃったなぁ~」なんて言いながらも嬉しそうに見せてくれた運転経歴証明書というもの。あらら遠目には免許証と見間違いそうなそっくりさん。
父の車を茅ヶ崎にお持ち帰りするので電車で実家へ。弟も急遽来ることになって気ぜわしい。この頃は外出の先々で「トイレ、トイレ」とトイレ探しに翻弄されるので、母のペースにあわせトイレ事情を待ってみたが、いつまでたって出かける用意が進まない前回だったので、デイケアから帰ってきた母を家に上げず着替えさせず、トレーニング姿(母はカーブスに行っていると思ってる)で連れ出す算段。しかし周りのテンポで連れ回しても結局は同じこと。今回も着いた先でトイレを探すことになってしまった。魚屋さんのあるビルは昭和な雰囲気、お刺身やシメサバがホント美味しいんだけど、トイレは綺麗じゃなさそうな予感。ひとりで行かせてしまったことを20分後、私は深く後悔することになる。
買い物を済ませても母の姿なく嫌な予感。まだトイレにいるってどういうこと?そこは和式の古いタイプで個室四つ。ひとつが扉閉まったまま。
「どうしたの?」『足が動けなくなっちゃった』…ええ!どういうこと??
鍵は古いタイプのスライド式かんぬきで、強く叩いてハズれるものでない。天井から個室の壁までの空間は脚立を使えば乗り越えられそうだが(覗きこめる)結構高い脚立が必要だ。さて、どうするか…
『だめだぁー』とか言ってる場合じゃないでしょ…と、どんなに叱咤激励してみても進展せずの10分経過。運良く隣に洗面台あり…乗れば覗きこめそうだけど、う~ん…これがまた古いタイプで乗った重さで壊れるかもしれないと不安がよぎる。さりとて方法なく登って覗きこめば、なるほど子猫がうずくまるみたいに下から見上げてる。
おそらく…脚力がないので、立ちあがろうとしても中腰のままになって動けず、そのまま座り込むように背中が壁の間に横向きにハマって、なるほどねぇ。ほぉ…こうなると動けないわけか…とりあえず成功率の高そうな救出方法から。竹の棒のようなものを事務所でお借りして、洗面台の上から棒を降ろしてつかまらせ、引っ張りあげて救出成功!(離さなかった握力と腕力は見上げたもの‼︎)
…お店の方々にも心配をおかけしたので、コメツキバッタのように頭を下げる私の横で本人はけろりと申し訳なさもなくて、でも同じ姿勢で40分はキツかった様子。足がフラフラふにゃふにゃで歩けず、「あら、どうしちゃったのかしら…」なんて気楽なもの。
弟が来て、この一件を笑う笑う、笑い転げてる。トイレに座り込んでた洋服、ダウンのコートなど全部を洗濯しながらワァーワァーまくしたてる私の横で、母を優しく慰めるのは弟の役割で、飴と鞭の分担は上手くまわってる。とはいえ…あーもぉー疲れた!ほんとに。まったく。
まっすぐに受け止めてしまえば介護は暗くなってゆく。終わりが見えないから。笑いに変換できる心の健康が大切だなって、この頃つくづく思う…っていうか、やっとそうなれる心持ちになってきたというべきか。少し肩のチカラを抜いて、ひと息。柔らかく心を保とうよってことかな。
「しあわせだから笑っているのではない。むしろ笑うからしあわせなのだ」アラン 幸福論