備忘録 父の頚椎症脊髄症 手術と母の認知症介護の夏
春先からはじまった85歳父の頚椎症脊髄症の手術が予定通りに終了。
1週間経ってせん妄も現れず、痛みも少し落ち着く。でも歳をとるって困るなぁと思うのは、自分のいいように解釈をする。「手術したのに前と変わらないのはどうしてだろう?」と…いえいえ劇的に良くなるような話は聞いてはいないのよ。リハビリで少しは良くなると良いね。
父の手術に関しては弟がうまい例えを言い、それはウォッシュレットのトイレが誤作動をするようになって分解してみたら5本ある細い配線の3本が切れてしまっていた…みたいなことだねと。
頚椎症脊髄症とは首のなかの神経にそんなようなことが起こって、筋肉とか内臓とかではなく配線を繋げるようなことであって、この手術は年齢的なことはあまり関係ないという先生の言葉も少し理解できるようです。ある種の…延命でもあるよなぁーとも。でもね。本人に強い希望があって、手術できる病院、信頼できる先生にも巡り会えて予後良く手押し車でリハビリ。前より足があがってると思うけど?療養入院も含めての退院のめど、普段の日常にもどれるようになるか…まだまだ見えないことばかりだけれど、病院の付き添いなどなど、ここまでの道のりヘトヘト感の4ヶ月。少しは報われたかなぁって。
母と久しぶりに1週間暮らして、認知がかなり進んでしまっていることを切なく思います。1日に2時間くらい以前の瞳の輝きに戻る時があって、それが救いであると同時に、しかし…きっぱりと、あきらめることができた7月でもあります。 さて、明日から母にとっては初めてのショートステイ10日間、ハードルは高めです。
認知症という病の特徴、母もですが、自分を貶められたりバカにされたりを感じるセンサーが研ぎ澄まされていると言われます。
父の入院中、茅ヶ崎の私の家へ来るのもめんどくさい、どこかへ泊まるなんてとんでもないことだと「私は大丈夫なのに相談もなく勝手に決めたり、どうして心配されるかわからない…」と延々主張してさんざん私を困らせても、そのことさえすぐ忘れてしまって、説得する意味がない。
ケアマネジャーさん、ショートステイ先の担当者さんに聞く。「母はほんとうに介護1ですか?」と。「日常的なことができるので介護度を今の時点であげて介護費用を高くする必要はないと判断しますが、かなり進行していると思います」…とのこと。ひとりで母が暮らすことは周りに迷惑をかけることが予想される状況。優しい嘘、騙すわけではないけれど説得しないことにしましょうと。
で、コソコソと荷物、持ち物に全部名前を書いて、揃えて準備している今です。もう到底私個人の力ではどうにもならなくて、今日だってお昼寝してるからと思って、買い物とコインランドリーに出かけて帰ってくるといない!慌てて探しまわって近所の八百屋さんにも連絡をお願いしたら、ATMで発見!びっくりする金額をおろしてしまって…郵便局で限度額の申請したり、そんなことがもう…ここ毎日。1日が終わるとヘトヘトです。
もちろん、家族が大変な時には力になるのことを厭うわけではないけれど、これは鶴の恩返しのようだな、とも思うのです。歳をとることで生活の中の見えない家事も、見えてる家事もできなくなってしまう。
気がついてしまうことをすればキリがなく、私は自分の羽を抜きながらくるくる働いてような、疲れている感覚さえ壊れてしまうほど。
しかし、ルンバに掃除させられるように15袋ほどをゴミにして、家をさっぱり片付ければ、かなりの達成感です。今後が楽になって、「どうにかなるさ」と思えるところ。
明日からは8月、そして新月願い事。
すべて自分に降りかかることは、私の人生で必要なことだと思ってる。けれど少し休みたいところ。灰汁感も抜けて夏空夏雲。