2020-02-29
声は骨に響く
「聞きたい声」は、雑踏の中でも脳が無意識に選んで聞きわけることができるのだそうです。
中学3年の修学旅行先は祖母の住む日光になり、馴染みの場所は誇らしいような、損したような、嬉しさとのないまぜな気持ちのまま祖母が来るという東照宮の近くを歩くも修学旅行シーズンの春。
階段を登るも降りるも人、ひとだらけ。会えた時の気恥ずかしく思う気持ちは、一転、会えなかったと寂しく帰る祖母の後ろ姿が浮かんで悲しくなってしまう。
「お孫さんには会えたかね」「人が多すぎてねぇ」階段の下から栃木のなまりで話す祖母の声が耳に飛び込んでくる。
「おばあちゃん!」
がやがやとした雑踏がその時だけスローモーションのように静まりかえるわけはない。
だけど、土壇場逆転でのホームラン。脳が祖母の声を聞き分けた瞬間だった。
私と祖母は同級生や大勢の観光客、観衆の拍手の中、そそくさとひとことふたこと話しただけで、他人行儀なお辞儀と握手までしたりして。嬉しくて、やっぱり気恥ずかしい。でも誇らしい気持ちでいっぱい。
祖母が亡くなるまでの会うたびに、その時の話で笑いあう、あの奇跡のような一時を。声はみえない空気の振動だけど、想いまでも乗せて伝えることができるのだなとしみじみ。亡くなって20年が経っても祖母の声は耳に残って、今でも懐かしく思い出すのです。
文字を持たなかった民族は、声を大事にしているといいます。ハワイの先住民は音の深みやトーン、小さな変化に感情をすくいとり文字で伝えず声で表現するのだといいます。
絵文字や軽いことばのやりとりも楽しいけれど、細やかなコミュニケーションで繋がる声の温かさを忘れたくない。
…と、少し便利なものと距離をおきたい時もあったり。でも、新しい気持ちの伝え方からも、もう抜けられないんだろうけれど。
関連記事