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2019-04-11

森羅万象 慈しむ春という

九段下緑道 ボートがジオラマのようで

花には

散ったあとの

悲しみはない

ただ一途に咲いた

喜びだけが残るのだ

坂村真民「花」

花冷えが続いて桜の満開が長い。父と母、それぞれの病院へ付き添ってあれこれ済ませての帰途、今は桜満開の頃と途中下車。半蔵門から千鳥ヶ淵、九段下へそぞろ歩く。樹の香りと花筏、夜桜の雰囲気も少し眺めて。はじめての千鳥ヶ淵は、母を助手席に都内の初ドライブだった。人もまばらな土曜の朝、歩道は今ほど綺麗に整備もされてなく、けれど桜も樹ものびのびして色も濃かった。お堀に沿う桜たちの見つめてきた記憶のどこかに私は触れているのだろうか…桜に呼ばれたとでも?….それは恋する気持ちにも似て。

「さくら」と言う名前の迷い猫のチラシがポストにあって、のちに「見つかった」という連絡はなく、この頃になるとどうしたろうか…ふと思う。時々駐車場で見かけるどこぞの猫を「さくら」と呼んで遊んでいたのだが、いやこの猫シッポが長いは強いネコの証拠。どうやらウチの芝生で恋の駆け引きしてたヤツとわかった。猫の恋には泣かされる。草木も眠る丑三つ時、闇を切りさく大音量を見守る?トンデモない…これでもし眠れるのならスゴイ。外に出て、猫たちのいそうな、暗闇を睨みつければ、ピタリと鳴き止む…恋路を邪魔したようで悩ましい、「猫の恋」は春の季語。

この堂々っぷりに萌え (*´∇`*)

夜中降り続いた雨風はいつしか止んでam5:15 朝日が眩しい。温かい陽だまりで身体がグンと伸びる気がする。雑草も心地よいのかどんどん伸びてる。はて…どうしようかと見まわしていて目が合った君。久しぶり元気だった?ヤモリくん。カナヘビくんと仲良く日向ぼっこ中におじゃま。この春二番めに嬉しいこと。

少し大きくなったような…綺麗な色 お互いびっくりなのに静かに見つめ合うよう…

またやつて来たからといつて春を恨んだりはしない

例年のように自分の義務を果たしているからといつて春を責めたりはしない

わかつているわたしがいくら悲しくてもそのせいで緑の萌えるのが止まつたりはしないと草の茎が揺れるとしてもそれは風に吹かれてのこと

『終わりと始まり』ヴィスワヴァ・シンボルスカ

この風では桜はもう散りゆくだろう。

ゆく桜をもう少しだけ。

「うちの桜」と母の言う、賑わうように白く咲く山桜。母の座る椅子から見えるところにちょうどよく咲くようになったのはいつの頃からだろう。

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