遠く…ラクダに乗って旅に
12月11日、施設での往診の診察中、医師と新しい施設での母の今後について話している。母は子どもの時にしてくれたように、わたしの左側の髪を優しくそっと撫でながら耳にかけてくれている。大人になってからは、そんなふうに髪を撫でてもらったことがないので、それは遠く遠く懐かしいような不思議に優しい気持ちが伝わってきて、いったいどんな顔をして撫でてくれていたんだろう…今思えば、少し振り返っておけばよかったと後悔しています。
診察までの待ち時間と、トイレ問題の相談、3本の採血終了まで3時間。がんばって疲れ果ててしまった様子の母は、わたしの肩に頭をあずけて眠ってしまいそう。ゴワゴワと固かった黒髪は真っ白になって、赤ちゃんのように柔らかくて優しい匂いがする。清潔にしてくれていることに感謝。
施設はコロナの厳戒体制で個人の部屋へは入れなくなってしまい、エレベーターで母を見送る。
「さようなら」
小さいけれど厳かにわたしの目を見てはっきりと言ったのです。間違いなく。
「なになに!『またね…』でしょう‼︎」戸惑うわたしは笑いながら母の肩を抱きしめる。
「何か、心配なことはある?」「なんにもないの」往診を待つ間、そんな話をしていたことを思い出す。
もう決まっていたんだ。あの時には。わたしに別れを告げてくれていたのだね。
微笑むように横たえて眠っているようでした。幸せそうにお昼寝でもしているように。
母 斎藤ケイ子の不審死について
〈 経緯 〉
12月21日朋子 千葉へ日帰り
歯医者経由、母の施設へ
冬服 冬用室内履き バスタオル日用品を渡すのみ
(コロナ施設内においての厳戒体制による)
新しい施設では、ちょっとのんびりしている施設長さんと高校生の男の子のいる元気なケアマネージャーさんに10日ですっかり慣れた様子。
「『ネクタイの柄、素敵ですね』…とケイ子さんが言ってくださったのですが、なんて言ってよいかわからなくて。誰にもそんなこと言ってもらったことがなかったので、嬉しかったです」施設長さんから連絡がはいる。ベッドだと自分で落ちてしまうので、無圧布団でゴロゴロしながら時々「助けてー」と小さな声が聴こえてくるので「何をお助けしましょうか?」聞きにいくと「大丈夫でーす」「お昼ご飯が楽しみでーす」とご機嫌な様子だったという。
その後、施設に慣れて歩く練習に付き添ってくれた施設長さんに「『長』という名のつくお仕事をしている人なのだから、もっと、ビシッとしなさい」と、言ったとか…「ケイ子さんが認知症の人に見えなかった」とケアマネジャーさんがコロコロと笑う。
私たち家族は、この話を聞いて、どんなに感謝したかしれません。前の施設では「精神病院くらいしかもう受け入れ先なんてないですよ」と言われ続けていたから。
夕食 ご飯おかわり 体調に変化なし
12月22日母ケイ子死去
2:29pm 施設 夜の見回り 寝返り
3:00am 死亡推定時刻
6:10am 施設 朝の見回り 起きてこない
主治医が110番通報
7:30am 施設より携帯電話で母死亡の知らせ
8:30am千葉北警察刑事課待鳥さんより電話。 不審死になるので家族で警察へ来て欲しいと。解剖は不審なところもないので、家族の意思でしてもらわないことに。
16:20pm 北千葉警察署へ到着
死体検案書:中村クリニック中村先生
死因心疾患 または急性心筋梗塞
事情聴取では施設においては不審なところなく、近年の体調や家族構成などを聴かれる。待鳥さんという刑事さんの優しく真摯な態度に救われる。事件性なく母との面会となる。
17:20pm 遺体安置室で面会。
待鳥さんは母好みのカッコいい刑事さんで、実は待鳥さん、この日の朝、6人の不審死があって立ち会い、徹夜の最後が母だった…と後に施設長さんから伺ってビックリ!疲れた様子など微塵もなく真摯に私たちを慮って、優しく明るく接してくださったのだから。
そして母は最後までカッコいい人を選んだ面食いという証明にも。
まだ暖かなぬくもりが残っていそうなやわらかな肩をさすりながら「ああ…よく寝てる」と心からの声が、涙が溢れる。
あんな静かに楽しそうな夢を見ているような笑ってる顔を見たら、泣いちゃいけない。
眠ったまま微笑んでいる。
0:30pm 湯灌
1:30pm 家族にてお別れ会
2:15 pm 出棺
3:00 pm 火葬
5:00 pm 収骨
今日で、お別れ。
優しく私を呼ぶ母の声が好きだった。もう聞けなくなってしまった。寂しい。
荼毘に付された今夜は、家に戻ってから大好きだった、お気に入りのお寿司やさんの季節のものを家族だけで。