風の贈り物
「朋子は欲張りね」言われた。あれもこれも…と欲があるのは大変と。母は何かして欲しいと言う人ではなかったけれど、ピアノの練習時にふと「お葬式には『ラルゴ』と『優しい時間』をかけてね」前者はヘンデル副題「苛酷な運命に涙を流しましょう」。後者はカナダのピアノ奏者の作曲、TVドラマ主題歌。永遠の別離を惜しむ2曲。遺骨を抱え火葬場を出ると夕闇はすぐ。4:24pm
Ombra mai fu (曲の速度記号から『(Largo)』)
お別れの前の晩、母の得意だったメニュー、じゃがいものコロッケと餃子としめ鯖。弟と作って家族で囲む。料理の腕はどんどんあがる弟も「やっぱり餃子だよなあ。のんびり包んでるようで、いつのまにかお母さんの方がいっぱいできてるんだから年期はさすがだね」優しい家庭料理と当時にしてはモダンな洋食、中華をのんびりつくる人だった。
「骨上げ」白くほっそりとした骨。ひときわ母とわかるのは綺麗な歯。美しい標本のように並ぶその歯からは「沢庵を切りながら台所でこっそり食べていた音が聴こえてきそうだね」家族みんなでふふふっと笑って。それにしても母の家系、足腰の骨は頑丈そうで骨壷に入るかなぁと思うほど。父は外出時、杖をつくようになり(必要かは微妙と誰も思ってるけど) 遺骨は弟の胸に抱かれて。
母と家に帰る途中、好きだったお寿司屋さんに立ち寄り持ち帰る時、しんみり女将さんがお茶をくださる。「寂しくなりますね」と。
猫は死期が近づくと姿を隠す…と聞いたことがある。大好きな飼い主にお別れをする「エンジェルタイム」ちょっと具合がよくなったり、甘えたり、永遠に旅立つ前に。
認知症が進んで、眠り猫のようにウトウトと幸せそうに眠ってばかりの母のここ2年あまり。ソファーから落ちたりして可愛らしかった。自分が旅立ったら、わたしがどんなにか悲しむかをわかって、そして母も別れるのが寂しくて「長いお別れ」の6年を選んだんじゃないのかな、と認知症の年月も愛おしく思えるようになった。
日光に住む母の妹。2歳下のちょっとラテン過ぎる叔母に施設入居まで認知症のことを言えなかった。父からの連絡で知ってからは、ひとり暮らしの父への気づかいと母への心配。密な電話に6年間の苦悩だったり笑える話や日々の話しを。
「待ち時間が寂しくなくなってね。美味しい幸せな時間をありがとう」お礼も泣き笑いになって話し尽きず。
葬儀が終わって年末からお正月はそのまま実家で過ごす。母はちょっと旅にでも行っているようなふうのまま、普段どおりのお正月。それぞれの場所に戻る。
突然の死、母らしくおくってあげようと、弟もわたしもただただ一生懸命で、気づけば、今ぽっかり。
ふいに思い出すひんやりとした手の感触や爪の形。もう触れることができなくなってしまったこと。母がもういないことを実感する。
涙の粒ってずいぶんと大きい。
悲しくなったら手を動かすようにした。
家の水道の蛇口のパッキンを全部を取り替えたり固くて動かない電気のスイッチを交換。「電気2種がないとホントはダメなんだよって弟。えー‼︎YouTubeで見られるし…
青色申告の領収書も貼りまとめる。領収書は記憶の宝庫。見てはいけなかった。緊急事態宣言で買い物も大変な時、施設に送った母の洋服、日用品…諸々に結局涙する。
今日は何日で何曜日なのだろう…
1日ずつそんなふうに積み上げていくしかなくて気づけば30日。母が亡くなった時刻まで眠れなかったり、医者の処方薬で朝が明るくなるまでゆっくりになったり、眠くて眠くてたまらない夜もあったり、時もめちゃくちゃだけど、身体に逆らわないで、いつもよりゆっくり時を過ごそうと思う。千の風になって母はわたしに話しかけている。まだ少し魂に寄り添う日々が続く。