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2019-06-15

自然を味方に

水が張られたばかりの田んぼに雲が浮かぶ

風薫る頃から水無月、季節は巡る。

ケヤキもクスノキ、街路樹の葉がいつにもまして優しい。常緑樹までも裸木にしてしまった酷い昨年の秋の台風。雲母のごと幻想的に煌めく海塩粒子というボヘミアンは海の風にのって白くキラキラと美しい。時が経つとザラザラ、ベトベトこびりついて途方暮れてしまった。さぞかし迷惑だったろう木の葉たち。

春しばらく楠の大木が裸木のまま。通りすがる人はみな、心配そうに見上げる。けれど、なんのことはない。初夏の光と風を受けて柔らかな若草色の葉を揺らし軽やかに翻ってる。

心まで疲れてしまったような時、身体をただ横たえて、樹々の葉のざわめきを、ぽっかり浮かぶ雲と空を眺めるのもいいもの。目にはいるもの、聴こえてくるものはすっと染み込むようだ。

青い空に細く伸びやかに響く声の主がシジュウカラと知った。「幸せ」を意味する名のとおり、澄み渡る明るい歌声は私に小さな幸せを届けてくれているのをあなた知ってる?

風は南から吹く。雲に響け…シジュウカラ

ああ、そうだった。

予測できないから人生は素敵なはずではなかったか。

望まないことが起こっても、誰のせいでもないと静かに受け止めること。変わっていくことを悲しんでひとところに留まってはいけないと、わかっているはず。

揺るがなく強いと思っていた父が驚くほど頼りなく思ってしまったけれど、そうじゃない。私が強くなっていた。でも父の前ではいつまでも小さい子どもでいたいのだなぁ。

母の時の流れが同じ時空に暮らしている感じがしなくたって、のんびり平和ならいいじゃない。

その人らしい人生を送れるよう見守っていくことこそ超高齢を生きていく親を持つ子どもの役割じゃないかな。何も全てを担うことではなく。

これからも私はなんどもなんどもため息をつく。悲しむこともたくさん。ずっとずっと悩み続ける。それでも人生は美しいと感じる、見たい世界があると思わずにいられない。

ほんの少し力が抜けたよう。

自然の持つ癒しの力によって癒され、新しい力をかいふくするのである …神谷美恵子

B棟西に向かって 日なかなか暮れず pm7:26

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