菜虫化蝶
母が動けないという連絡の次の日、実家へ帰ってみると、コンニャクのように力の入らない母を身体は収集のつかないほど重い。
立ち上がらせ、トイレに行かせても、またすぐにトイレに行きたいと言い、行ったことは忘れてしまうのにはまいった…おそらく感覚が鈍ってる。これでは父の気力も体力も続くものではない。なんとかソファーに座らせて横にさせる。くったりと寝てしまう。
ふと祖母の顔に似て、そうか…心配で迎えに来ているだと、なんとなく思う。 夕食を食べさせて日帰り。
病院2件をまわって診断書を書いてもらわなくてはいけないので3日後は車で。家に入ると怒った顔をしてる父と「ずっと怒られてる」と半泣きの母。やれやれ…あいかわらず人の世話が上手くできない父なのだ。一生懸命が空回りしてしまう。午後、ケアマネジャーさんと福祉レンタルの方達からベッドの使い方、起こし方のレクチャーを受ける。やっと父も柔らかく笑えるようになる。プロの力は偉大。義母、義父とのことなど、悲しい出来事の中でも、どれほどの知恵と助けをもらっているだろう。
弟も仕事帰り1泊する。夕食後、相変わらずトイレから戻るとすぐまたトイレという。母も自分の身に起きている痛みや変化に怯えていて、不安でしかたないのだろう。近くに座って携帯ラジオのイヤフォンを耳に入れてあげて、やっと眠る。次の日は朝から整形外科を受診。圧迫骨折が腰に二ヶ所と言われ、内科の診察では膀胱の感覚が鈍くなっているのだろうとのこと。いつもの薬をもらい買い物し、ショートステイの準備、夕食の支度して帰る。渋滞なくスカッと帰宅。
さて、ショートステイを終え、弟からまた一段がくんと老化が進んだとの連絡。
この何日かは、夫婦で入れるサービス付き高齢者住宅を探しに探して、案内請求してきたけれど、母だけをすぐにでも入れる施設を探す。
別れも不幸も怖れることはない。
わたしにはよくわかっているはず。けれど、気持ちは割り切れるものじゃない。そっとどかして、きちんと見送ってあげなくちゃいけないのだと胸に刻んで。
「病気は辛いできごとですが、泣きたいくらい素晴らしい出来事もいっぱい起きます 」- スカーレット 水橋 文美江
認知症は病気だろうか?
花を見よ
其は 大地に縛られし蝶なり
蝶を見よ
其は 天に解き放たれし花なり
– ルドルフ・シュタイナー –