萌月の季感
1月は色の少ない季節です。まして、この頃の台風は容赦がなく、木の葉は色を失くして今年もまた墨絵の中に迷いこむような、墨汁の水に漂うような、佇まい静かな冬の景色です。
穏やかなお正月が過ぎて4日、さそわれて初詣へ。友人たちと行く詣では初めてのこと。穏やかな陽だまりの舞う三が日のお天気はいずこへ。灰色と銀色の雲に覆われる空。茶店も参道も閑散。ちょっと拍子抜けです。
五重の塔の威厳を、雨樋や水桶の風格を …徳川家の迫力眺めてお詣りをしてみんなで写真撮る…指が入りこんでるよ‼︎…男女共学的わいわい感もいいもの。
育ちの良さと格とをさりげなくみせつける木々の枝ぶりをひやかしながら、ゆるやかな下り坂、先のさきに小さな池が見える。
睡蓮だろうか…菖蒲だろうか…水面には冬の空と雲が映りこむ。
初夏の頃はきっと華やかだろうけれど、ぐるりと囲う回廊には逆光が薄く滲んで、今はしみじみとひなびたセピアの冬だ。
静かな冬枯れも良いもの。
華やかな季節なら心も目も跳んだり跳ねたり忙しくて気もそぞろになってしまうけれど、しんとしている景色には、人の気持ちの成分を空気中に滲ませる何かがあるような気がします。人にはいくつもの顔があるけれど、外向きの顔を仕舞ってもよいと思う空間がそこにあって、鳩が寄り添ったり離れたりしながら話し歩くような距離感は居心地が良かった。あの時包まれていた成分を今になって心の深みにそっとしまうのです。
参道の茶店で草餅をひとつ分けてもらいながら、お店のお茶で観光客気分の一服。右も左もオシャレとは無縁の昭和のかおりがひっそり漂います。
同級生と会っていると、どんなこともあの頃の話へと導かれ懐かしい港へと帰り着くようで、すごろくのあがりみたいだなぁと思います。出てくる話も登場する人物が限られてしまうので、新しい記憶が開花して注がれなければ堂々めぐりなのだけど…じゃぁ、つまらないか…というと、落語のようなもので。同じ話のその時に、また違うように感じたり小さな食い違いを、突っつきあって、意外にもまだまだ面白いことが出てきたりするものです。
親族なのに友人のような近い人たちと過ごす時間が長かったので、きっぱり友達といえる交流はごく少ない。それはそれで良いと思ってきたけれど、50歳を過ぎて、親の介護や身近な人との別離は心に重く、つい深淵を覗いてしまいそうな、のみこまれそうになる。
過ぎ去ったこと、これからのことを話しながら心を柔らかく、じゃまた歩けるね!ってちょっと肩を押してもらえるような家族や親戚じゃない人との繋がりはこんなにも嬉しい。すこしずつ年月を重ねながら心配したり、されたり、思いあうことができることって知らない星で出逢えるような奇跡に近い。そんなふうに過ごせた1日。
今年一番の福。