遠い日の花火ではない
私はどうしてここいいるのかしら?毎朝に繰り広げられる見事に消去される記憶です。今日で10日目。ついにオールクリアを達成!
誰か何か大変なことがあったの?
私は助けられたの?
毎日がアドベンチャーです。
パジャマの上にカバンを斜めに掛けて腕時計してウンウン唸って寝ているなんて。もう笑ってしまう可愛さなのです。カバンに大金が入っているの?空襲でもあったの?なんて聞けば顔をくしゃくしゃにして笑ってる。
時はゆっくり刻み、昼間もほとんどソファーで眠ってる。水も促さなければ飲まないし、着替えも手伝って、お風呂で洗ってあげて「どうして髪洗うのそんなに上手なのかしら?」シャワーをかけるときゃあきゃあ言いながら笑ってる無防備な母を、わたしはみたことがない。
ショートステイで宿泊すると、認知度が進んでしまうことがある…とは聞いてはいたけれど、ここまでとは正直驚いてしまった。
優しい介護スタッフに身の回りのことをしてもらって心地よく、ぽーんと楽な方に傾いちゃったってかんじかな。10日間、楽々過ごして、ぼんやり度は増しに増してふわふわしてる。
身体能力は衰え、アヒルのヨチヨチ歩きを考慮せず無謀にもお盆のショッピングモールに連れ出したことを深く後悔。浮遊するクラゲのようにちょっと肩が触れただけでも転んでしまいそう。
父と母2人で暮らすことはますます難しくなるだろう。家事などもう無理。混乱の極み…包丁を持たせれば切るどころか握るのさえ危なっかしいし。さて、父は母の時々の失禁に気がついていないのか…知りたくないのか。今の今、居場所がわからなくなることも、転んで怪我することも、おそらく近所に迷惑をかけるようなことも、近く予想できることばかりなのに。
静かに暮らせることが母のためにも良いだろうと弟と水面下、グループホーム(認知症対象の集団生活施設)を探し始め、と、ショートステイ先の連絡で、午後はずっと利用者さんと、おしゃべりしてるという新情報も入って、ならなおのこと、母が笑って過ごせる場所を望みます。
わたしを娘とわかる最後の夏かもしれない。
最期のお泊りだったのかなぁと思うと、ふっと涙がこぼれます。
穏やかで平凡な今日というなんでもないひとつを胸にしまって、たとえ今のすべてを忘れても、心に残る暖かさは残っているのだから。
(誰かが自分を信頼し、暖かく見守ってくれていたら、きっとその人のためにも、元気よく生きられるだろう。小野田隆雄「NEWオールド」キャンペーンのコピー)「恋は遠い日の花火ではない」
恋じゃなくても。