2021-02-28
音の景色
音のない暗闇は息苦しい。真っ暗な中を落ちてゆく奈落とはこんなものだろうか。体の宇宙を彷徨うように自分の胸の鼓動、せりあがるように血管のなかにもぐって鈍く、くぐもった音に包まれて息もしていないことに気づく…すると、ひそやかな声から、小さな小さな花たちが暗闇からいっせいに飛び出してくる。瞬間、色とりどりに咲き競って眩しいばかり。はたして、優しさに溢れる彼女の声が光を、映像を連れてくるのだろうか。
「音」は振動であると。伝える役目を担う。けれど、ほとんどが空気、水や鉄、地面…「何か」に吸収されてしまうのだそうだ。そのかわりに、ほんのちょっとだけだけ、それは「何か」を暖めることができるのだという。「それ」がどのくらいその「温度」が上げることができるのか…測ることはできないだろうけれど。
母の声がもう聞けなくなってしまったという事実が受け止められず、失ったものばかり心に浮かべている毎日は、いつのまにか音のない時を過ごす日にもなっていった。「無音」ふと、あの感覚を思い出した。音のない世界は、時に神聖な時間になり、音楽を求めない生活は身体が乾いていく。わたしの身体の中には長い長い年月をかけて母の音が振動となって残っていることを知った。胸に聴けば優しい響きが、色が、景色がしっかりと感じられる。季節は容赦なく進む。シジュウカラはさえずり、ひそやかな梅の香りは季節をはこぶ。ゆっくり見渡せば、世界は優しい。生きることは美しいよ。
母の振動はわたしの細胞の隅々の「何か」をちょっと暖めている。たとえば涙が少しずつ暖かくなるように。
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