季節のはざまで
季節が進むのと一緒に、母の身体機能は少しずつ衰えていく。
父から電話。母が起きられなくなったのだと慌てた様子。今までだって、やっと起きあがっていたワケではあるけれど。
1月の終わり、医者への付き添いで帰った時も布団の横の畳びしょ濡れ事件があって、とうとうか…と父と凍りついた。母はトイレからのろのろと戻ってくる。パジャマじゃなくナイキのトレーニングパンツを履いて何事もないように。
「あら、どうして水びたしなのかしら」それこれ言ってもしかたないし、おそらくは布団からなかなか立ち上がれなくて間に合わなかったのだろう…と想像はつくが、さて、だ。
軽失禁パンツではもう限界。1日に多い時で4枚履き替えている。尿意の感覚は大丈夫とはいえ、ここからが繊細で微妙に難しいところ。
「もう紙パンツだね」とか無神経に言えば認知症はプライドが高く、こじれにこじれる諸々を経験済み。だからといって、毎朝こんな事態では父が大変だ。
何と言おうか…
「今の紙パンツは素晴らしい進化をしていてその履き心地たるや、優しく柔らかなモノになってリハビリパンツっていうらしい。お試し品を試着してみる?」とまずお試しを誘うと意外にも「暖かいくて柔らかい」に良い反応。夜トイレに起きられない時のために…と、お風呂上がりに着用することとすんなり決まって着替えとして父が用意。そのまま自然に紙パンツ(リハビリパンツ)への移行が済んでやれやれというところ。
平穏は続かない。
歩行器か車椅子かの相談と手配をケアマネージャーさんにお願いする。
「心配することは何もないから」電話口での母は優しく、いたって幸せそうだ。
ベランダに寝転んで空をみてる。
薄氷のような雲の一群は薄明の空の下、光を透かしながら、少しずつ春をこぼす。
別れが近づいてくる寂しさに、覚悟はどんなにしていても泣けてしまう。けれど、母の幸せな気持ちをこのままを整えてあげることが、わたしできる精一杯のこと。
季節のはざまにいる。明日、母の顔を見に行く。