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2020-03-31

卒業の刻

母はショートステイに行く。家にいる最後の日と気がつく。出て戻ってくることない。いや、戻らせるつもりはない。そう決めた朝だ。

駅からのなだらかな坂を下りながら目に入る空は冬の蒼色が広がる。雲のひとつもない。コブシと白木蓮が競うように咲き誇って。飛んでゆく白い鳥のようだな。

家で暮らすことは難しい。トイレから帰ると、またトイレ、ベッドに寝かせれば5分おきに体勢を直して欲しくて「助けて…」と言う。父は疲れきって朝ごはんも終わらずのそのまま、寝間着も布団も散らばる地獄絵図。

感傷など吹き飛んで、早回しで片付け、ショートステイの準備。私の姿が見えなければ何度も「助けて…」がはじまるので、ボストンバッグを母の近くに置いて姿が見えるように用意しながらチェックシートに記入する。–あぁ、これは保育園の1歳児担任の時と同じレベルか…と、なんだか可笑しくて可笑しくてしかたない。

同じ被害に逢った弟と父ともにあの時の「助けて…」は、もっとも母らしい緊急のあらわし方だったと大爆笑。悲しみの波の中にいても、小さなユーモアをみつける。笑える出来事に遭遇する。日常はたくましい。泣きながらも笑う日々なのだ。昇華させた涙は想い出のピースの1つになる。優しさを漂わせて。

ショートステイ先で母は少し回復し、介護スタッフの方から老人ホームでは可哀想と言われる。この一週間、試験勉強のように探し続けて、やっといくつかに縛り込んだとこ。グループホームは認知症のみの千葉市在住だから限られる…ふりだしに戻って心折れそう。

82歳の母になった私は空想の旅をする。故郷の栃木県の日光市のあたりを、娘の住む神奈川から静岡の海の近くを。

まず千葉の九十九里の一ノ宮海岸の近くひっそりと静かな老人ホームを訪ねる。

長柄町のゴルフ練習場は母が長く経理の仕事をしてきたところで、仕事が終わる頃、車で迎えに道の駅でタケノコや山菜を買ったり…想い出を拾う。カーブの続く道は下って茂原へ、一ノ宮へと続く。その先の小さなシニアホーム。静かに過ごすのにはよさそうだけど…少し寂しそう。帰路、九十九里の海を眺めて走る道の左側、幸治川に架かる木造りの橋。朽ちてゆく橋には細い雨が似合う。

そのグループホームは桜の咲く公園の横にあって少し山を思わせるところ。女性ばかり9人で女子寮のような小さな家は、天井が山小屋のように高く明るく穏やかでお散歩が毎日の仕事なのだそうだ。

70歳を過ぎての揺るがない信念、施設を創った女性の柔らかな強さに共感。テレビの前に集まって洗濯物を畳んだりの日常、時のスピードはゆるく流れる。

情報を調べることで、先入観はイメージを強く自分の中に作りだしてしまう。ネットの波に乗る旅と、目で見て感じる印象、会って話すことは良い意味で裏切られて解決の糸口が見えてくることもある…結果、よかった。

お母さん。

私があなたから卒業する刻です。

終のすみかは住んでいた家ではないけれど、新しい仲間と理解ある人たちに巡り会えたら、新しい人生と、いえるかもしれない。母を卒業して、また娘に戻るような。

コロナ騒ぎの今、病院へ行くもハードルが高い。健康診断書、面接…首都封鎖なんてことになると予定がたたなくなる…むくむくと心配な気持ち。「終の住処探し」旅の終わり
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