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2021-02-28

音の景色

NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]「オープン・スペース 2019 別の見方で」にて《Lenna》…「無響室」電灯からも音が出るので暗闇に。感覚刺激がなくなると平衡感覚が失われるらしいが、
音の色を楽しめるといわれる。

音のない暗闇は息苦しい。真っ暗な中を落ちてゆく奈落とはこんなものだろうか。体の宇宙を彷徨うように自分の胸の鼓動、せりあがるように血管のなかにもぐって鈍く、くぐもった音に包まれて息もしていないことに気づく…すると、ひそやかな声から、小さな小さな花たちが暗闇からいっせいに飛び出してくる。瞬間、色とりどりに咲き競って眩しいばかり。はたして、優しさに溢れる彼女の声が光を、映像を連れてくるのだろうか。

輪唱から合唱に。華やかなオペラの歌声は蝶になって羽ばたき、深くさざめく海へといざなわれる。時には木々の隙間からの風となって安堵と幸せをもたらして耳をとおりすぎる。「声」なんと不思議な。

「音」は振動であると。伝える役目を担う。けれど、ほとんどが空気、水や鉄、地面…「何か」に吸収されてしまうのだそうだ。そのかわりに、ほんのちょっとだけだけ、それは「何か」を暖めることができるのだという。「それ」がどのくらいその「温度」が上げることができるのか…測ることはできないだろうけれど。

母の声がもう聞けなくなってしまったという事実が受け止められず、失ったものばかり心に浮かべている毎日は、いつのまにか音のない時を過ごす日にもなっていった。「無音」ふと、あの感覚を思い出した。音のない世界は、時に神聖な時間になり、音楽を求めない生活は身体が乾いていく。わたしの身体の中には長い長い年月をかけて母の音が振動となって残っていることを知った。胸に聴けば優しい響きが、色が、景色がしっかりと感じられる。季節は容赦なく進む。シジュウカラはさえずり、ひそやかな梅の香りは季節をはこぶ。ゆっくり見渡せば、世界は優しい。生きることは美しいよ。

母の振動はわたしの細胞の隅々の「何か」をちょっと暖めている。たとえば涙が少しずつ暖かくなるように。

書類の探し物をしていて、15年前の旅先からのハガキを見つけてしまい、ぽっかり暖かな2月のお日様に包まれ、やっぱり泣いてしまいました。毎日すとんと涙のスポットにはいりこみ、こぼれる涙には2種類あると知りました。冷たい涙と暖かな涙。哀しくて辛い。やさしくてあたたかい。あたたかい涙は亡き人が側でそっと寄り添ってくれているのだと聞きました。意地っ張りなわたしは誰の前でもでも泣けずに花粉症に紛れてごちゃ混ぜのままずっと目が真っ赤です。
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