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2022-06-01

香りを聞く 音を聴く

春から初夏は香りと音の季節です。

ひなげし 虞美人草 ポピー
世界中を旅する花。オレンジの楚々とした小さな花はナガミヒナゲシといわれる。晩春までアスファルトにも咲く。佇まいは華奢でも強い強い。

子スズメたちの飛行練習は毎日。飛ぶのが下手な子スズメには厳しいレッスンが続いてるようす。シジュウカラはチラリとその騒ぎを横目にひときわ透き通るように高らかに歌う黒ネクタイ姿がスマート。風に揺めく若葉は爽やか。初夏の香りが広がります。

木造の二階建て懐かしい校舎。軋む廊下、音が割れる古いスピーカーから流れるビリージョエルが好きだった。広いグランドが素敵で、憧れの高校の入学式というのに、なんと不機嫌そうな!

音の海に溺れるように過ごしていた10代、20代の頃。ふいに流れてくる洋楽に心躍らせ、歌謡曲やポップスを身体が求めるまま宿らせ、ラジオと寄り添った真夜中。今、ふとその頃の音が耳に入る時、懐かしく遠く過ぎ去ったさまざまなことが影絵のように浮かびあがったり、ふと匂いが立ち昇ったりするのです。

大好きな可愛いエルモ(近所の犬)を庭で預かる。この頃は芝生綺麗にしてたなぁ。庭の手入れが辛いと思う時に歳を感じる。

音楽から離れて、音とも音じゃないとも思えるようなひそやかな自然な音を聞きたい。樹々のそよぎ、雨水がもたらす静かな雫、ぐんぐん緑濃くなる芝生から立ち昇る草の香り、風と光にカーテンがふわりとなびく晩春に漂っていると、今を生きるわたしは亡き人たちと一緒に森羅万象の中にたたずんでいると感じます。どっしりと腰をおろす55年の古い家も庭もそう遠くない将来失くなってしまうから、ささやかで静かな今のひとときが愛おしく思えるのかもしれません。

春はどんどん短くなって、花たちは咲く時期を急ぐ。ゆく春を惜しむ今日の日です。

春のめぐみ①タケノコを煮る。祖母が送ってくれていたのだろう大量のタケノコを幼かったわたしは覚えてる。エグミとアクのない日光の山で取れたタケノコの皮を母は全部剥いてしまって、その皮に梅干しを巻いてチュウチュウと吸い、いたずらっ子みたいにわたしにも渡す。タケノコが梅干しでほんのり紅くなる不思議。たけのこの青臭さと梅干しの酸っぱさが懐かしい。
春のめぐみ②ふきを煮る。祖母の山椒の葉の佃煮は絶品だった。佃煮にできるほどいっぱいの山椒を自分だけの秘密の山に取りに行っていた。手に入るふきを佃煮するくらいしかできないけれど、煮詰めず、やさしく浸すくらいが好みの加減。
香りを聞く。増上寺にて香道体験。精神を整える奥深い遊び。ちょっと自信があった嗅覚。2種の香りの違いがよくわからなかった動揺がとまらない。父が香道を知ってたことに更にびっくり。司馬遼太郎の本に武士の作法としての香道の描写があったのだと。読書とは教養である。
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