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2018-12-07

いつか風になる

久米島では、復帰以前まで

風葬の慣習が残っていたといわれます。

人間は自然の一部であり

風葬によって故人は自然に帰る。

いつか死んでゆくことを

人ごとのように考えないように

どこか遠くおいて。

ほんとうに人生は長いのだろうか

不運が重なって植物状態になってしまった25年来の親友が4ヶ月頑張って夏、旅立っていきました。

毎日がお別れで最期の日。

変わらなく暖かい手を足を顔をさすりながら話しかけても 言葉は受け止める相手を探せず浮かんで、 パラパラと落ちていく。

まるで何か確認するかのようにぽっかり瞳が開いても私が映ることはない。

それでも時おりの瞬きに、ため息のリズムに、彼女らしさを。

瞳に知性が宿るのを感じる。

哀しみというのは季節がめぐっても薄れることなどなくて

むしろ胸にひたひたとひろがる。

どんなに悲しいことが起こっても何事もないように世界は回る。

経済も幸せも当然のこと。

けっして卑屈じゃなく眺めてむしろほっとしたりする。

とても不思議な感覚で自分だけがふわふわとどこか違う世界にいる

そんな気がして空を見上げたって世界は何も変わらずで。

植物状態を脳死といわれる状態を

生きているということか

そうでないということか

身近な私たちは現実的な判断を迫られる。

治療をあきらめること。

延命をしないこと。

栄養点滴を減らしていくこと。

とうとう水だけを1日200cc。

亡くなった翌日の昼。

うとうととして見た夢の最期の「声」

「ごめんね。心配かけちゃってー」

ずっと泣けなくて、お別れを言いに来たんだお思ったらやっとずるずる泣いた。

彼女の別れの顔は少し微笑んで、

まぁいいかなって照れたようで。

じゃあ。いいか!

運命も天命も関係ないと思いたい。

その日がきても悔いなくて、

あぁ、楽しかったと思いたい。

あれから百箇日が過ぎて久米島。

はての浜の風ふたりで浴びたかったな。想い出はふわんと柔らかくなってる。

風は過去から繋がるように優しくてどこか懐かしい。

あの辛い毎日ずっと聴いていた

「いつか風になる日」

そのままに。

誰もがいつかは風になるのだから。

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